車遍路の随筆集

第1話:遍路の契機  第2話:不在の理由 第3話:新車の行き先 第4話:車の使用価値
第5話:お遍路グッズ 第6話:納経という儀式 第7話:錦と白の納札 第8話:別格霊場の難所
第9話:第83番一宮寺 第10話:急がば回れ 第11話:別格霊場鯖大師 第12話:灯明と線香
第13話:小豆島霊場 第14話:怒り遍路    

第1話:遍路の契機

  遍路を開始したのは平成12年6月からである.それ以降の1年間に,四国88霊場を5回にわたって巡回した.回数のみから判断すれば,緑色の納札を使用できるはずであるが,現在でも実際は白色の納札を使用している.特に理由はない.白色の納札を買い過ぎた帰結でしかない.廃棄するのはもったいないし,納札の色で御利益が変わるはずはないと思うので,今しばらくは白色を使用する予定である.

 大学病院に勤務する公務員であるために,「歩き遍路」をする時間的余裕はない.そのようなことをしていれば,満願と同時に失職しているであろう.したがって,自動的に「車遍路」とならざるを得ないが,遍路を始めた契機として「車」が大いに直接的な影響を及ぼしている.

 平成12年4月,思い切ってベンツCLK2000を購入した.以前からクーペが好きなのである.2000年型のCLKは,カーナビが標準で装備されていた.本来,自家用車の用途は自宅と職場の往復に限られているので,カーナビをオプションで購入するはずはない.標準装備であったので,欲しくもないものが着いていたまでである.そのために,カーナビは使用しないままに放置されていた.まさに無駄である.

 夏期休暇中である8月の水曜日と木曜日に,高知市で学生の保健管理に関する研究会が開催されることになった.業務上,出席しないわけにはいかない.さらに,3日後の日曜日に,輪島市でてんかんに関する講演を依頼された.車で往復するとして,わざわざ高松市まで帰るのは消耗と思われたので,1日の有給休暇をいただき,車で駆け抜けることとした.

 JRの高松駅で時間待ちをしていて,駅構内の本屋さんに立ち寄った.ふと目にとまったのが「四国の主要都市から巡る四国88ヵ寺&周辺ガイド」という本である.立ち読みしていたら,最初に四国全図が掲載されていた.高知から宇和島の周辺を見ると,第37番から40番の札所が点在していた.このような地域には2度と立ち寄ることがないかも知れないと感じたので,足摺岬と宿毛の宿を確保した.

 情報を集積するために,インターネットで四国遍路に関する情報を入手することを試みた結果,白倉さんのサイトから最も価値ある情報が得られ,電子メールで多くのアドバイスをいただいた.せっかく回るのであれば,第1番札所から開始にして最初の行程に出発した.

http://www.age.ne.jp/x/henro/index.htm

 何分にも居住地が高松市であり,十分な地の利に恵まれている.歩いても,第84番「屋島寺」まで約1時間,第85番「八栗寺」まで約2時間に過ぎない.高速道路を利用すれば,第1番「霊山寺」まで約1時間15分程度で到着する.さらに,カーナビが極めて有意義であることに気がついた.当日の天候は,あいにくの雨天ではあったが,ルンルン気分で「門前一番街」に到着し,多少の巡礼グッズを購入した.

 この時には,四国遍路に強力な習慣性と依存性があることを認識していなかった.1年間に5回も巡回して,ベンツの走行距離が30,000キロを突破するなどとは,考えてもいなかったことである.いずれにしても,このような偶然に支配されて,四国遍路を開始したわけである.このような契機のいずれにも,宗教的な動機が含まれていない.当初は,観光気分が多分に加味されていたことは否定できない.

第2話:不在の理由

 遍路に行くことを妨害することは,極めて重大な罪業であると見なされてきた.妻も,自分が参加する気持ちはないにしても,表だって四国遍路に行くことを止めようとはしなかった.ゴルフよりは明らかに安そうであるし,少なくとも悪いことをしに行くわけではない.

 「亭主元気で留守が良い」という言葉がある.主婦の立場からは一面の真理であろう.ただし,不在の理由が問題である.妻が無条件に喜べるのは,病院における当直業務である.病院内にいることは確実であるし,当直手当まで入手できるのであるから,これほど歓迎できる不在はない.

 ゴルフのために不在という事態は,やや高額な出費を伴うという欠点があるが,それほど非難すべき不在でもない.最大の長所は,行き先に関する心配がないことである.ゴルフに行くと言って出発すれば,ゴルフ場に行っていることは確かである.

 最も問題が多い不在は,学会,研究会,講演などを理由とする不在である.医師という職業上,これらの行事に参加することは,公務であると考えることもできる.妻の立場からも,正面から文句を言う根拠はどこにもないが,実はこれほど多くの問題がある不在はない.東京で開催される学会に参加すると言って出発した夫が,確実に東京にいると確信することが困難なためである.

 すでに時効になっていると考えているので正直に告白する.東京の学会に参加すると言って出発し,実際には札幌のゴルフ場でプレーしていたことがある(公務員ではなかった時期の経験である).このような事実を考慮すれば,大義名分のある不在ほど,主婦にとって問題のある理由はない.

 亭主の行き先など,心配しても仕方がない問題である.考えてもなるようにしかならないし,考えなくてもなるようになる.時間経過とともに,あまり考えない習性を獲得できれば幸せである.食事の献立に関する心配はないと考えて,自分が好きなことに集中していればよい.

 世間にはお節介な人々がいる.学会に出張中に電話をかけ,私の行き先を詳細に問い合わせ,「宿泊先は聞いていません」と答えた妻に対して,「よくそんなことで主婦として安心できますね」と皮肉を言った友人がいる.この友人は,有名な精神科医であるが,大きなお世話である.この時は,本当に学会に参加していた.「It's none of your business」と叫びたいところである.

 このような意味から考えれば,四国遍路という不在の理由の位置づけはどうであろうか.自宅を起点とする車遍路であれば,多くは日帰りであり,時に1泊する程度である.遍路に行くと言えば,お寺参りをしているに決まっている.経済的な出費も,それほど高額を要するはずはない.唯一の問題は,交通事故に関する心配であるが,飲酒運転をするお遍路さんはいない.それほど問題のある不在ではない.

 常識的には,このように考えることができるが,予想外の問題が生じてきた.亭主が1回りしても,2回りしても,一向に車遍路を終結しそうな様子がないことである.これではきりがないではないか.新たな問題が浮上してくる.車の走行距離が,際限もなく増加することである.

第3話:新車の行き先

 いつのまにか,車を買い換えるたびに,以前の車は家族に譲るという習慣が生じている.そのようなわけで,先代のローバーは次女が,先々代のBMWは妻が乗っている.新車購入代金として,ある程度の金額を徴収しているが,格安で譲渡しているのは確かである.

 譲り受ける方とすれば,できる限り良好な状態で受け取りたいのは当然である.現在のベンツの行き先は,順序からいえば妻になるはずである.自分のものとなるはずの車が,車遍路のために1年間の走行距離が30,000キロに達するとすれば,実際に受け取る時点ではどのようなことになるのであろうか.ここに消極的反対の理由が生まれるわけである.

 新車の価値は,時間経過とともに確実に低下する.外観,走行距離,事故歴など,多彩な要因が車両価格に錯綜した影響を及ぼす.可能な限り,新車時の価格を維持したいのが人情である.そのために最も良い方法は,できるだけ使用しないことである.ガレージの中に保護しておけば外観が痛まない.使用しない以上,走行距離も延びることはない.事故に遭遇するおそれもない.

 ベンツを購入した結果,価値の低下を恐れてこのような態度を取るとすれば,何のために購入したのかという疑問が生じてくる.乗らない自家用車など,何の役に立つのであろうか.それくらいであれば,買わない方がましである.購入価格を定期預金しておけば,利子は付かないとしても,目減りすることはない.

 かなり以前のことであるが,自宅と自家用車のいずれにクーラーを装備するかに迷って,後者に決定した夫婦がいた.暑さに耐えられない時には,家から車に逃げ出すそうである.まるで避暑地である.自家用車に乗る時に靴を脱ぐ人がいる.車内は自分の部屋以上に清潔である.何か価値観が違っているような気がする.車も道具である.使用しない道具に存在意義はない.

 イギリスを訪問した時に,次女から依頼されていたルイ・ヴィトンのバッグを購入した.エピシリーズである.ヴィトンの袋を抱えて,フレミングホテルに戻った.エレベーターで一緒になったイギリス人は,ヴィトンの袋を見て,「Quality」とつぶやいた.彼女は,喜んで新しいバッグを下宿先に持ち帰ったが,その後,それを使用している姿が見られないのである.

 父と娘の会話:「ヴィトンのバッグはいつ使うの」−「あれは大事だからね,特別の機会にしか使わないの」−「今はどこにあるの」−「大切にしまってあるの」.使用しないベンツと似たような話である.ベンツCLKの走行距離は,1年2ヵ月で36,000キロに達している.

第4話:車の使用価値

 今日における物質の価値は,主として市場価値によって評価される.市場価値とは,どの程度の貨幣に変換できるかに依拠する評価である.そこには,個人にとってどの程度に有意義であるのかは問題とされない.デパートにブランド製品が氾濫し,グアム,サイパン,香港便の飛行機に,ショッピングのみを目的とした本邦の女性がつめかけるのも,市場価値の高い物質を入手するためである.

 ジョニーウォーカーは,かつては海外旅行のお土産として珍重されたスコッチウイスキーであるが,その市場価値は著しく低下している.ジョニ赤に至っては,近所のアルコール量販店に行けば,700ml入りがわずか1,000円で購入できる.輸入自動車も,昔を思えば購入しやすくなっているが,ドイツ車に関しては現在でも一定の市場価値を維持している.

 数年前のことであるが,ローバーのRV車が大幅に値下げしたことがある.値下げの比率は,数ヵ月前に契約したであろうユーザーが気の毒になる程度のものであった.その直後に,「従来のユーザーに迷惑をかけるような値下げはしません」というBMWの広告が一流の新聞に掲載された.当時の私は,BMWのユーザーであったが,何とも複雑な印象を受けた記憶がある.

 そのようなベンツではあるが,手車遍路という目的を考慮すれば,必ずしも使用しやすい車ではない.札所への進入路は概して狭い.いくら小さいベンツではあっても,第35番札所「清滝寺」に到着するためには難儀な運転を迫られる.すなわち,遍路のための使用価値は必ずしも高くない.換言すれば,市場価値が低くても,使用価値の高い車があるということである.

 単身での車遍路であれば,最も使用価値が高い車は,ワゴンRないしムーブであろう.カーナビが装着されたパジェロミニであれば最高である.狭い進入路でも平気で登って行くであろうし,狭い駐車場であっても容易に停車でき,有料駐車場の料金も割安である(駐車は概して無量であるが,少数の札所の駐車場は自己申告式の有料である).

 車遍路のために軽自動車を購入することも考慮したが,事故にあった時の安全性が懸念された.さらに,「ベンツを持っていながら,それを使用しないで軽自動車などにするから,大怪我をしていまった」などという嘲笑が気になった.やはりガレージに飾られた乗らないベンツにはしたくなかった.次回には,市場価値と使用価値を勘案してゴルフバンを購入すべきであろう.

 そのような訳で,ベンツによる車遍路を継続していたが,第63番札所「吉祥寺」の駐車場に停車中に,他のレンタカーにぶつけられたために軽度の損傷を被った.相手の運転手が良心的な方で,損傷は保険によって完全に回復した(まさか御大師様の前で当て逃げもできない)が,「何もこんな車で回らなくても」といわれているような気がした.それでも,ベンツに乗って巡礼している人に稀ならず遭遇する.

 第5話:お遍路グッズ

 どのような服装で遍路するかは,個人の自由にゆだねられた事項であるが,常識的にはある程度の遍路用品を入手すべきであると思われる.最低限の用品ですませる予定であったが,必要に応じて徐々に買い求めるに至った.そこで,主要な遍路用品を解説する.

 金剛杖(こんごうづえ):御大師様の化身として大切に取り扱わなければならない.橋の上ではついてはならないという約束がある.どの杖にも同行二人と書いてある.常に御大師様が導いてくださるという意味である(かつては単身であるにもかかわらず二人とはこれいかにと思っていた).歩き遍路の必需品であるが,車遍路であってもしばしば有用である.置き忘れないように細心の注意を要する.

 菅笠(すげがさ):日よけ雨よけとして最適な歩き遍路の必需品であるが,車遍路にとってはむしろ邪魔になることが多い.そのために,菅笠に替わる物として,通常の幅広の帽子を購入した.類似の帽子は,遍路用品店でも購入できるが,私には小さすぎたために,東京のデパートで最適の大きさの帽子を選択した.「Masters」というロゴは,単なる遊び心である.

 白衣(はくえ):背中に「南無大師遍照金剛:同行二人」と書かれている.当初は,気恥ずかしいので購入しなかったが,実際に着用してみると,そのような気持ちは消失し,気が引き締まるから不思議である.なお,ご詠歌がプリントされた白衣を売っているが,これはご宝印を押してもらうための白衣である.洗濯することができないので,着用するための白衣とは区別して取り扱わなければならない.

 輪袈裟(わげさ):礼拝するための正式な装具であるとともに,遍路であることの身分証明書のようなものであるために,白衣姿でなくても必ず着用すべきである.しばしば忘れがちであるが,トイレなど不浄の場所に立ち入る際には,事前に取り外すことが原則とされている.

 数珠(じゅず):正式には,真言宗用の長い数珠を使用する.数珠の用い方は,宗派による違いがあるようで,正式な方法を知らないので,左手に二重に巻いて使用している.最近では,別格20霊場の数珠玉を集めた特性の数珠を使用している.

 経本(きょうほん):四国遍路用のものとして,般若心経や十三仏真言などをまとめたものが市販されている.正式には,礼拝に際しての手順が定められているが,少なくとも般若心経は唱えるべきであろう.それまで省略しては,遍路としての意味が失われる.十三仏真言は,サンスクリット語であるために,最初は読むことすら困難であるが,繰り返すうちに暗記することが可能となる.

 納札(おさめふだ):遍路としての名刺のようなものである.札所の本堂と大師堂の納札箱に収める.お接待を受けた時には,名刺替わりに渡す習慣がある.巡礼の回数によって,異なった色を使用するという奇妙な風習がある.住所と名前を記入するようになっているが,番地の記載は割愛する方が良い.稀であるが,納札が悪用される危険性があるためである.

 頭陀袋(ずかぶくろ):納経帳,経本,持鈴などの遍路用品を収納する袋である.持ち歩くために便利であり,防水加工されたものを購入すべきである.礼拝に使用する納札,蝋燭,線香も収納できるが,これらに関しては便利な専用の用品が市販されている.

 持鈴(じれい):頭陀袋に吊り下げて,鈴の音を響かせながら歩いている人が多いが,このような態度は正式な方法ではない.持鈴の音は,魔除けの音,煩悩を覚ます音であるが,本来の使用目的は読経する際の句読点である.移動する時には,頭陀袋に収納すべきであり,音を響かしてはならない.

第6話:納経という儀式

 スタンプラリーという言葉がある.礼拝という主たる遍路の目的を忘れ,ご宝印を収集することに全力を傾け,納経所で当初の目的を達成すると,直ちに次の札所を目指すという,本末転倒の姿に陥っている遍路を皮肉った用語である.大多数は車遍路である.歩き遍路であれば,このような形態は生じるはずもない.車遍路として,くれぐれも注意すべき事項である.

 本来の納経は,遍路が納めた写経を受け取ったという意味を有する札所による証明書である.すべての札所の本堂と大師堂に写経を納めるとすれば,88×2=176通の写経を要することになる.それでは過度な負担になるので,代替手段として般若心経を唱えるわけである.少なくとも般若心経と書いたのは,このような意味である.それすら省略するようでは,納経してもらう資格がないのである.

 多分,納経を儀式であるなどと記載すれば,不謹慎であるとして叱責を被るであろう.ご宝印は,何にでも押していただけるわけではない.納経掛軸,納経帳,および納経用白衣に限られている.これらの用品は丁寧に取り扱わなければならない.手数料は,それぞれ500,300,200円である.納経の受付時間は,原則として午前7時から午後5時までである.

 納経していただく前に,一定の手順に従って礼拝をすまさなければならない.すなわち,個々の札所における最後の行事として,納経を受けることが原則である.実際には,札所に到着するやいなや,納経所を求めて駆け寄り,本堂や大師堂には見向きもしない人もいる.まさに,スタンプコレクターであり,スタンプラリーである.「願わくはこの功徳をもって」などといわないだけましかも知れない.

 直接聞いた話ではないが,香川医科大学の幹部職員が納経所に赴き,「サインしてください」と言ったために,住職からお説教されたとのことである.納経の内容は3行である.最初の行は「奉納」,次の行は本尊の名称,最後の行は札所の名称である.まさか本尊がサインしてくれるわけではあるまい.

 特に春などのシーズンには,大勢の遍路が各札所に押し掛けるため,納経所に長い行列ができることがある.そのような際には,ある程度の時間にわたって待たされることを覚悟しなければならない.個人で巡礼している遍路を悩ませるのは,大型バスを利用している団体遍路の納経である.本人ではなく代理人が納経を受けるため,所要時間が一層延長する(少数の札所には団体専用の納経所がある).

 このような実情があるので,礼拝の前に納経を済ませておきたいという心理がめばえる.大師堂で般若心経を唱えている時に,大型バスの職員に納経所を占領されそうになれば,読経どころの話ではなくなる.けっして褒められたことではないが,実際には先に納経を済ませた上で,落ち着いた気分で礼拝していることも多い.それほど責められるべき問題とも思えない.

 複数回の巡礼を繰り返す人々の多くは,同じ納経帳に重ねてご宝印を押してもらっている.文字通り「重ね」と呼ばれる方式である.遍路の超ベテランの納経帳は,ページの全面が真っ赤となっている.初回の納経は筆による記入を要するが,重ねの場合にはご宝印を押すだけである.札所の業務にはかなりの相違があるが,料金はいずれもが300円である.不合理なように感じられる.

 真っ赤になった納経帳は,極めて尊いものであるとのことであるが,あまりきれいとは感じられないので,巡礼を繰り返すたびに新しい納経帳を購入している.遍路の主目的は礼拝であると考えているので,納経を省略しようと考えたこともあるが,四国霊場のすべては拝観料を取らないので,その替わりと思って納経を続けている.書庫に重ねられた納経帳の行く先が問題である.

第7話:錦と白の納札

 本堂や大師堂でお勤めをしている時に,傍若無人に納札を入れる箱をかき回している遍路に出会うことも稀ではない.価値あるお守りになるという「錦」あるいは「金」色の納札を探しているのであろう.

 考えてみれば,色が異なった複数の種類の納札があること自体,奇妙な現象と思われる.御大師様は,錦の納札を使用する先達(好きな言葉ではない)と同様に,白い納札を使用するビギナーをも歓迎してくれるに違いない.

 御大師様の叡智をもってすれば,遍路の信仰の深さを察知するための指標として,納札の色などを使用するはずがない.本来,「金」色までの納札は,遍路用品店で購入できるものである.

 「錦」の札を使用する資格は,100回以上の遍路経験ということであるが,そのような人がすべて88ヶ所を100回以上遍歴しているのであろうか.よほどの資金と余暇がない限り,そのようなことは不可能と思われる.信仰の世界も,金次第であるとしたら情けない.

 大体,他の遍路が使用した納札を所持することで,自分に幸運が舞い込むのであろうか.蝋燭や線香の火を付ける時に,貰い火をすることは縁起が悪いとされているが,同質の行為のように感じられる.

 このように感じるので,私は納札を入れる箱を探す気持ちもないし,他の遍路が使用した納札を所持する気持ちもない.そのような私であるが,実は他の遍路からもらった1枚の納札を大切に所持している.その納札の色は「白」である.

 平成12年8月,愛車で高知県の札所を回っていた.第29番(国分寺)に近づいた頃,1組の変わった遍路が自動販売機の前にいた.変わったと感じた理由は,年齢構成にある.老年の男性,壮年の男性,および小学生高学年と思われる少女であった.前者は単独行動の遍路,後2者は親子であり,偶然一緒になったように感じられた.いずれも,完全な白装束を身に纏っていた.

 当然ではあるが,国分寺には私の方が先に付いた.お勤めと納経を済ませ,瓦の寄進をする手続きをしていた頃,例の1組の遍路が到着し,3人そろって本堂にお参りしようとしていた.何気なく観察していると,驚いたことに少女が大きな声で般若心経を唱和し始めた.

 何があったのかは知らない.確かに,夏休み期間中ではあったが,小学生の女児が白装束で遍路するとは通常ではない.そのような彼女の般若心経を聞くうちに,涙を禁ずることができなかった.

 大師堂の蝋燭立ての背後で待ち受け,蝋燭を灯しに来た彼女にわずかながらのお接待をさせていただいた.男性2名から,同時にお礼を言われたために,あるいは同じ家族であったのかも知れない.

 まもなく,彼女がおずおずとした様子で私に近づいて,「これをどうぞ」と言って1枚の納札を手渡してくれた.その白い納札には,彼女の住所と名前が,いかにも子供らしい文字で期されていた.ちなみに,広島県福山市の人であった.この納札だけは,職場の机の中に大切に保管している.

第8話:別格霊場の難所

 四国88ヵ所巡りと並行して,別格札所20ヵ所も訪れている.これまでに3回の巡回を完了した.別格札所は,88ヵ所と比較すれば遍路の数は少ない.仏教寺院としての活力も様々である.たとえば,鯖大師本坊のように,88ヵ所をも凌駕するような活動を展開しているお寺もある(参加させていただいた朝の勤行は印象的であった).

 車遍路にとっては,札所に到着するまでのアプローチが重要な問題である.私は,往々にしてカーナビのお世話になっているが,所在が登録されていないお寺もある.20ヵ所すべてを回った経験から,札所へのアプローチを解説する.

 容易に到着できる札所:第4番鯖大師,第5番大善寺,第8番十夜ヶ橋,第9番文殊院,第11番生木地蔵,第15番箸蔵寺(ロープウェー利用),第16番萩原寺,第18番海岸寺.これらの札所の多くは都市部からも距離的に近く,道路地図を参考にすれば容易に到着できる.

 進入路を迷い易い札所:第2番童学寺,第6番龍光院,第10番興隆寺,第12番延命寺,第14番椿堂,第17番神野寺,第19番香西寺.私は香川県に居住しているが,坂出市内の第78番郷照寺に容易には到着できなかった.場所はわかっているが,進入路が明確ではないのである.これらの札所は,方向音痴でなければ比較的容易に辿り着けるが,香西寺の入り口は注意して探すべきである.

 運転が困難な難所:第1番大山寺,第3番慈眼寺,第7番出石寺,第13番仙龍寺,第20番大瀧寺.これらの札所は,いずれもが高い山の中腹ないし頂上近くに位置している.特に,道路が狭いために,対向車との離合に困難を感じることも多い.これら5ヵ所が,車遍路にとっての難所と思われる.本稿では,これらの札所へのアプローチを概観する.

 第1番大山寺:札所への進入路は,広域農道から分岐している.約15分程度のドライブで到着する.したがって,距離的には遠くない.最大の問題は道路の幅である.私の愛車は小型乗用車であるが,タイヤの幅と道路の幅が同じ程度と思われる場所も多い.乗用車の運転,特にバックに自信のないドライバーであるのなら,タクシーを利用する方が賢明である.

 第3番慈眼寺:第20番鶴林寺の奥の院である.初回には遠く狭いと感じたが,2回目にはそれほどとは感じなかった.距離的にやや遠いが,道路の幅は意外に狭くなかった.ただし,本堂らしき建物は大師堂であり,本堂のある穴禅定までは徒歩による大変な難路である.途中の「灌頂の滝」は必見である.

 第7番出石寺:札所への進入路は共通であり,季節によれば咲き乱れる紫陽花が歓迎してくれる.進入路に到達するまでに,どの経路を選択するかが問題である.道路幅は比較的広いが,距離的に疲労するドライブとなる.最初に選んだ西大洲経由は,途中で通行止めとなっていた.

 第13番仙龍寺:川之江市から進めば,堀切トンネルを出た直後に右側に分岐する.そのから先の運転に注意が必要である.距離的には中等度であるが,幅的には中等度以下である.対向車がないことを祈らざるをえない.崖崩れ注意という無意味な札がかかっている.どのように注意すればよいのであろうか.まさか,崖の上を見ながら運転するわけにもいかない.

 第20番大滝寺:国道193号線の夏子休憩所の近くから分岐する.道路幅は十分であり,特に離合に注意を要するような場所もない.山中の道にしては驚くべき広さです.ただし,距離的に極めて長い.拝観の時間も含めれば,国道からの往復に約1時間を計算しておくことが必要である.

第9話:第83番一宮寺

 高松市内には,第82〜84番と3ヵ所の札所がある.遍路の理想は通し打ちであると思うが,公務員として勤務している以上,そのことは不可能である.そのために区切り打ちという結果になる.高松市に居住している関係上,距離的に近いこれらの札所を訪れる回数が増加するが,個人的には第83番札所一宮寺に対して最も心に惹かれる印象を抱いている.

 あるガイドブックによれば,一宮寺は「田園の中にこじんまりと建ち,庶民の信仰を集める寺」であると紹介されている.第82番根香寺(秋の紅葉は見事),第84番屋島寺(屋島観光の中心)と比較して,一宮寺は境内の面積も狭く,地味な札所という印象が避けられないが,私にとっては訪れるたびに心の安らぎを感じる場所なのである.

 これまで,約2年間の間に約10回程度一宮寺を訪れた.極めて短い期間であるが,境内の様子が大幅に変化している.四国霊場としての品格を増進させるための努力が,懸命に持続されていることの反映であることは明らかである.境内がまったく変化しない札所,庫裏のみが豪華になった札所とは対照的である.宗教的努力を継続されている関係者の真摯な姿勢に敬意を捧げる.

 施設面での改善以上に心を打たれるのは,遍路に対する寺院関係者の暖かいもてなしである.多くの札所の大師堂とは異なり,一宮寺の大師堂は中に入ることが可能である.さらに,寺院関係者が待ち受け(ウイークディであっても),遍路が入室すると太鼓の1打で歓迎してくださる.専門家の前で我流読みの般若心経を唱えるのは気恥ずかしいが,暖かい心にさせられているのに気づかされる.

 この札所で最も評判の高いのは,納経所における対応である.瑜峰房嘉雲師の「四国88ヵ所遍路夜話」を参照しても,「このお寺の『納経さん』は四国一なのです」と記載されているほどである.私も,何回か四国一の『納経さん』のお手をわずらわせた.極めて上品な女性であったが,最近になってお姿を見かけなくなったことは心配である.ただし,現在の『納経さん』も四国一でありつづけている.

 納経所における対応の例を具体的に示す.多数の遍路が訪れる休日はともかく,ウイークディであれば納経所の窓は閉まっている.ブザーを押せば,納経さんが登場して窓を開け,納経が澄めば「お気を付けて」と送り出してくれるが,しばしばその直後に窓が閉鎖される.しかし,一宮寺の窓は遍路が確実に立ち去るまで,閉まることなく見送ってくれる.寒い日など,遍路の方が恐縮するほどである.

 護摩堂を新設する計画があることをきき,わずかではあるが1000円を寄付させていただいた.匿名ということを希望したが,あえて住所と名前の記載を求められ,寄付に対する御礼として「氷砂糖」のお菓子をいただいた.「この世」ではダイエットをしているためにお菓子を食べることはないが,「あの世」への道中に持参する予定である.線香ばかりでは,カロリーが不足するかも知れないからである.

第10話:急がば回れ

 四国遍路の基本が「歩き」であることは当然であるが,現職の公務員である制約のために,「歩き」で通し打ちすることは不可能である.40日以上かけて結願した結果が,懲戒免職ということになりまねない.そのために,多くは日帰り(足摺岬に足を伸ばす時のみ1泊)の車遍路である.そのような遍路の在り方に対して,「スタンプラリー」という非難が向けられている.

 車遍路の立場から自分のことを省みても,そのような非難には一理があると感じているので,札所ではある程度の時間をとり,遍路の作法を遵守してお参りするように心がけている.開経偈,懺悔文,般若心経,本尊名号,大師宝号,回向文という順序である.四国霊場を3回も歴訪するうちに,いつのまにか般若心経のみではなく,サンスクリッド語である13仏真言を記憶してしまった.

 そのように努力しているが,「ラリー愛好精神」は抜け切れていないことを確信させられた.地理的理由から,私にとっては第20番札所「鶴林寺」から第29番札所「国分寺」が1日の日帰り行程となっている.そのために,「鶴林寺」に到着するのは常に早朝である.時間的に光線料が少なく,満足できる写真が撮影できたことがない.

 平成14年2月吉日,例のごとく午前6時30分頃に「鶴林寺」に到着した.寒い上に暗く,札所には誰一人いなかったが,通常通りの参拝を終了し,デジタルカメラで地蔵菩薩と不動明王の撮影に取りかかったが,光線不足で撮影不可能であった(フラッシュ撮影は好まない).そのために,撮影を断念して納経所を訪れることにした.午前6時55分頃である.

 四国霊場の納経は午前7時に開始される.そのために,しばらく待たせてもらうことにした.納経所に隣接した大師堂では,若い僧侶が朝の勤行の最中であった.寒い中を素足であり,一心に勤行に打ち込んでおられる様子を観察していた.そして,午前7時5分を過ぎたのを確認した後に,納経所のブザーを遠慮がちに押したが何の反応もなく,僧侶の勤行は継続された.

 短時間内に繰り返してブザーは押しにくいものである.しかたなく,再び不動明王の撮影に取り組んだが,不十分な映像しか残せなかった.7時10分,再度ブザーを押したが,相変わらず無反応であった.7時15分頃,朝の勤行を終えた僧侶が,初めて気づいたという様子で,「おや納経でしたか,しばらくお待ちください」の述べ,7時20分頃にやっと納経をすますことができた.

 いかにウイークディとはいえ(センター入試の代休をもらった),7時20分まで納経してもらえなかったわけである.札所によっては6時55分に納経してもらったこともある.しかし,結果的に良いこともあった.朝日を受けた素敵な地蔵菩薩の写真が撮影できたことである.第20番札所における所用が終了し,早急に第21番札所に向かうことにした.

 第21番札所「太龍寺」にはロープウェーを利用して参拝する.ロープウェーが出発する時間は20分間隔であり,初発時間が7時20分であることを承知していたので(7回目ともなれば憶えます),瞬時に頭の中で計算した.「鶴林寺」を7時20分発であれば,懸命に急げば7時40分のロープウェーに間に合う.そのために急ぎに急いでロープウェー乗り場に駆け,7時35分に到着した.

 それにしては様子が奇妙である.付近に誰一人おらず,ロープウェー乗り場も閉鎖されたままである.仕方なく周囲を徘徊するうちに,従業員と思われる方に出会い,その理由が判明した.ロープウェーの始発時間は,12〜2月の冬季には8時00分だったのである.制限速度を無視し,あのように夢中になって駆けつけた結果がこれである.事故でもしていたら,さぞかしお大師様に叱られたことであろう.

第11話:別格霊場鯖大師

 単身行動の車遍路であり,勤務の関係もあって日帰りを原則としている.時によれば日程の関係もあり宿泊したいこともあるが,単身であることが不都合な事態を招く結果となる.一般的な旅館や民宿の場合,単身で1室を使用することは歓迎されない.このことは,札所が経営している宿坊も同様であり,団体以外であれば断られることが多い.そのために,ビジネスホテルを利用することが多い.

 「鯖大師」と呼ばれる別格霊場.生き返って泳ぎ去った塩鯖の逸話は承知しているにしても,札所にしては奇妙な名称である.しかし,この札所に現存している真摯な宗教的息吹を認識すれば,粛然とした気持ちにさせられる.そのことを手短に知りたければ,第11番札所「藤井寺」から第12番札所「焼山寺」の遍路道を歩いてみればよい.「鯖大師本坊」による案内札が随所に目に入るはずである.

 この札所は,「遍路会館」と呼ばれる立派な宿泊施設を経営している.さらに,歩き遍路のために無料で使用できる施設も併設している.ある時,すべてのホテルや民宿が満室であったために,「遍路会館」への宿泊を希望してみた.あらかじめ「単身の車遍路です」と伝えたにもかかわらず,「結構です.どうぞお出でください」と快く宿泊を引き受けていただいた.

 案内された部屋は,豪華というわけではないが,清潔に清掃された和室であった.ビジネスホテルに慣れているために,自室のドアの鍵がないことに驚かされたが,ここは札所の内部なのだと考えて納得した.気持ちの良い浴場で気分をリフレッシュして夕食を待ったが,この素晴らしい浴場は,無料で施設を使用する歩き遍路にも開放されているということであった.

 初めての札所における夕食は,一定の形式に従った食事を感謝する儀式の後に始まった.けっして良いことであるとは考えられないが,アルコールの摂取も禁止されていなかった.すなわち,希望があれば自動販売機でビールを購入できた.食事内容も充実したものであり,新鮮な「鰹のたたき」を賞味することができた.夕食中に,強制ではないが,明朝に施行される勤行に参加するように要請された.

 明朝の6時頃,朝の勤行が行われる護摩堂に赴いた.入り口で靴を脱いで護摩堂に入室した.約50メートル程度はありそうな広いトンネル状の通路の両側には,四国88霊場の別格20霊場の本尊がかかげられていた.その奥にある広い空間が護摩堂であり,極めて厳然とした雰囲気に支配されて,本尊の不動明王が祀られていた.

 まもなく,初めての経験となる朝の勤行が開始された.護摩堂の最後列に正座したままで観察していたが,予想をはるかに上回る程度にまで厳粛な宗教的儀式であった.それは,不動明王を前にした「火の祭典」とでも言えるものであったが,宗教としての仏教精神が豊かに息吹いていることを再確認させられるものであった.

 現在の本邦における古典的な宗教の位置づけには問題が多い.江戸時代に採用された檀家制度のために,仏教寺院の経済的基盤は安定したが,そのことが布教的努力の喪失をもたらしたと指摘されている.「葬式仏教」,「観光仏教」などという陰口があり,必ずしもそのような非難が的はずれでないという実情もある.しかし,別格霊場である「鯖大師」では,健全な仏教が現存していたのである.

 私のホームページの「古寺散策」という写真集は,あえて「法界院」というような,およそポピュラーとはいえない寺院から開始した.その後に収録した「醍醐寺」や「泉涌寺」など,特定の宗派の総本山が立派なのは当然のことである.それよりも,本稿で取り上げた「鯖大師」や「法界院」など,人口に膾炙にていない寺院を訪れ,真摯な宗教的努力を実感することが,車遍路にとっての喜びと感じている.

第12話:灯明と線香

 四国遍路を志すものにとって「殺生」こそは最も忌むべき行為である.過去には,50センチメートルを超える黒鯛を釣り上げて喜んだこともあったが,これこそ「殺生」以外の何者でもない.車遍路を始めてから,趣味の一環であった「魚釣り」とはすっかりご無沙汰になった.思いがけず,手に止まった「蚊」を叩いて殺したことはあるが,それほど気持ちの良いものではない.

 そのように心がけているが,特に春から秋にかけては,毎週のごとく大量の殺生をしている.自動車事故の犠牲になる小さな昆虫のことである.仕事の関係で,毎週にわたって高速道路の高松西インターと新居浜インターを往復している.約100キロメーター程度の速度で走行するが,その過程で自動車の全面に衝突した昆虫が死亡するからである.

 この種の「殺生」は,現在の業務を続ける限り,避けることは困難な行為である.問題は,そのような昆虫の死骸の処理である.自動車の塗装にとり,このような昆虫の死骸は有害な物質である.そのために,高速道路を走行した後には,洗車することが理想であるが,毎週にわたって高速道路を通行しているために,そのような洗車はエンドレスの行為となる.

 このような意味不明の文章を書いたのは,第28番札所「大日寺」と第38番札所「金剛福寺」で,大勢の遍路が灯す灯明台を清掃する寺院関係者の姿を目にしたからである.「大日寺」では,おそらくはご住職と思われる方が,バスバーナーで燃え残った蝋燭を燃焼させていた.そのような場面で巡礼に訪れたために,許可を得て1本の蝋燭を灯させていただいかが,清掃済みの灯明台を汚す結果もなる行為である.

 このことに関しては線香についても同様である.早朝の札所を訪れると,線香立ての中が綺麗に清掃され,平坦にならされているのを目にする.そのような寺院関係者の気配りは,毎日繰り返される行為であるが,絶えず清拭を継続したとしても,遍路が訪れるたびに台無しになってしまう.何となく「賽の河原」という言葉が思い出される状況である.

 それにしても,このような寺院関係者の気遣いは,遍路にとっては有り難いものである.しかし,すべての札所で,このような配慮が期待できるわけではない.早朝に訪れても,灯明台が前日に使用された蝋燭の燃え残りばかりで,新しい灯明を立てる余地がないこともある.最も気になるのは,納札が入れ物に入りきれず,風で飛ばされるに至っている状況に遭遇することである.

 四国霊場を回る動機は,個々の遍路によって多彩であろうが,遍路が使用する1本の灯明,3本の線香,1枚の納札には,ひたむきな気持ちが込められているものである.寺院関係者の負担になることは十分に理解できるが,そのような遍路の気持ちを尊重した対応を期待したい.たとえば,第15番札所「国分寺」のガラス扉のない灯明台.風のある日にはけっして蝋燭を灯すことが不可能である.

 豪華絢爛たる本堂,金色に輝くご本尊,歴史の古さを感じさせる境内.遍路は,このようなものに憧れて巡礼しているわけではない.いかに小規模な札所であっても,遍路に対する寺院関係者の暖かい配慮に胸打たれるのである.たとえば,第71番札所「弥谷寺」の納経所.3名の納経さんが団体と個人を分担し,個人の分を待たせることなく処理してくれる.このような気配りにお大師様の存在を感じる.

第13話:小豆島霊場

 島四国という言葉がある.日本は島国であり,大まかには北海道,本州,四国,九州という4つの島から構成されるが,その中でも四国が最も小さい島であることに由来する用語と思われる.歩き遍路を志す人々により,島四国の小ささは福音かも知れない.小さくても約1200kmもある.もしも本州88ヵ所が散在しているのであれば,徒歩で巡礼しようとする人がいるであろうか.

 四国よりも小さい島の霊場がいくつか知られている.その中でも,最も人口に膾炙しているのは,小豆島88ヵ所霊場と思われる.小豆島は全国的にも名の通った島である.島の名前を聞けば,24の瞳で有名な島の分校場,孔雀が遊ぶオリーブの島,あるいは手延べ素麺などというイメージが浮かんでくる.小豆島の霊場は,このような島の各地に散在している.同じ四国に位置した弘法大師にちなむ霊場であるが,四国88ヵ所とはかなり異なったニュアンスを有している.

 このことを最も特徴的に例証しているのは,一般的な札所の名称に含まれる最後の漢字である.四国88ヵ所の呼称は,98%に相当する86霊場までが「寺」という漢字を用いている.例外は2%に相当する2霊場のみで,具体的には第55番札所の南光坊と第68番札所の神恵院である.このことは,四国88ヵ所が四国各地に位置している寺院を歴訪する遍路であることを意味している.

 それに対して,小豆島88ヵ所の名称は対照的である.札所の名称にみられる最後の名称の中で最も多いのは,「寺」ではなく「庵」である.庵とは,僧や尼が住む小さな草葺きの住居のことである.小豆島88ヵ所のうち,実に29霊場(33%)が「庵」という漢字を用いている.すなわち,約3分の1を占めている.次に多いのが「寺」であり,27霊場(31%)に相当している.すなわち,正式な寺院は約3割に過ぎないことになる.

 その他の霊場の名称は多彩である.最後の漢字として使用されている用語の順に紹介すれば,「堂」が15霊場(17%),「山」が6霊場(7%),「坊」が3霊場(3%),「瀧」が2霊場(2%),「洞」,「滝」,「宮」,「院」,「窟」,「殿」が各1霊場(それぞれ1%)となっている.四国88ヵ所の名称が,わずか3つの漢字で終わっているのに対し,小豆島88ヵ所の名称は,実に12種類の漢字によって構成されている.

 このような事実は,小豆島霊場の特徴を反映した結果であるように感じられる.まず,これらの霊場が極めて強い「地域密着型」という性状を有している.小豆島の札所は,四国88ヵ所に比較して,設備的には貧弱な施設であることが多いことは確かであるが,そのことはプロフェッショナルである寺院関係者ではなく,アマチュアである地域に居住する民衆によって守り育てられた霊場であることを意味している.

 すでに指摘した札所の名称として最後に使用されている漢字であるが,「宮」および「殿」などという用語は,通常は仏教の寺院ではなく神道の宮殿を意味している.このような漢字が札所の名称として残されていることは,これらの札所が明治時代の「廃仏毀釈」の強い影響を受けた結果に違いない.廃棄することを求められた寺院の本地仏が,あるいは民衆によって密かに隠匿され,弾圧の嵐が治まった時期を見て「庵」などに安置されたものであろう.

 四国88ヵ所と別格霊場の写真集は,多少の心残りはあるがほぼ完成した.西国観音霊場と中国観音霊場は,いずれもが未完成であるが,しばらくは時間的余裕がなさそうである.いざ,出かけよう.小豆島88ヵ所に.高松市からは,目と鼻の距離ではないか.歩きで約7日,車なら約4日の霊場である.フェリー料金が気になるが,日帰りすれば宿泊料金を節約できる.上述したような札所の特徴のため,カーナビが使用できるかどうかのみが心配である.

第14話:怒り遍路

 札所への歴訪を重ねる過程で,数多くのお遍路さんとの出会いが生まれる.遍路は,貴重な人生勉強の機会でもある.「人のふり見て我がふり直せ」ということわざがある.本来の職業が精神科医であるため,仕事の場面における大部分の時間が患者さんとの談話に費やされる.その反動か,家ではあまりしゃべらない.遍路で出会う人々と話すことも稀である.多くは,他の人々の行動を見て,反省の材料にさせてもらっている.

 第21番札所である太龍寺は,標高約600mの山上に位置している.かつては指折りの難所であったが,現在ではロープウェイを利用して容易に参拝することができる.自己の職業柄,あまり公にしたい話ではないが,子どもの頃から強い高所恐怖症に悩まされてきた.そのような意味では,太龍寺ロープウェイは強烈な恐怖体験となるはずであるが,最近になって恐怖感が薄らいできた.遍路を重ねたことによる最大の恩恵と考えている.

 太龍寺ロープウェイの下りにおける体験.時間的に早かったために,乗客の数はまばらであった.近くに座っていた中年の夫婦と思われる遍路の話が聞こえてきた.夫である男性が怒っている.「あの納経所の坊主の態度は何だ.いったい何様であると思っているのか.誰のせいで食べられていると考えているのか.こうやって我々がお金を払ってやっておるからではないか」.そういえば,ご朱印をいただいた掛け軸と納経帳はしっかりと抱えていた.

 おそらくは,ご朱印を収集することのみを目的に回っているのであろう.札所を訪れても,ご本尊を拝むことも,般若心経を唱えることもしないのであろう.そのような遍路を繰り返した結果,88霊場の掛け軸と納経帳が完成したとしても,そのことにどのような意義があるのであろうか.これでは,「お陰様で」という感謝の気持ちなど皆無である.個人的にも,納経に際して不快な気持ちになったことはあるが,そこは人生勉強の場である.もって「他山の石」にすることである.

 第65番札所である三角寺での体験.主人公は,単身で巡回していると思われる初老期の男性.いかにも先達といった様子である.約10名の婦人団体とともに,納経所に並んでいたが,「おたくら,真言宗.違うの.それでは,無意味ではないの.四国88ヵ所は,あくまでも真言宗の霊場.宗派が違うのであれば,意味がないのではないの」.まるで初耳といった様子の婦人団体.宗派にとらわれないことが,四国霊場の最も大きな特徴のはずであるが.

 四国霊場には公認の先達制度がある.先達にも,種々の段階があり,それぞれの資格に求められる条件が示されている.先達に求められる最大の任務は,経験の浅いお遍路さんを正しく指導にて,適切な巡礼のマナーを身につけさせることであるが,先達にもいろいろな人々がいる.最もがっかりさせられるのは,自分のグループの都合ばかりを優先させるリーダーである.このような人々にとっては,外部の個人遍路など「路傍の石」なのであろう.

 遍路を繰り返す過程で,外面的なマナーは悪化した.適切な先達に恵まれなかったためかも知れない.杖をつくことも,白衣を着ることも,いつの間にかしなくなった.そのような状況であるが,札所に到着すれば少なくとも1度は般若心経を唱えることを心がけている.その後に納経を済まし,時間が許す範囲内で札所に漂うくつろいだ雰囲気を楽しむことにしている.そのような意味で,第39番札所である延光寺の境内が大好きである.

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