

はじめに
司法精神鑑定の実務は,刑事訴訟法と民事訴訟法によって規定されている.法律に裏付けられた行為であり,一定の儀式に従って整然と進行することになる.
大多数の正式鑑定は電話のベルで開始される.裁判所書記官からの電話であり,鑑定を要する事例の概要が説明された後に,精神鑑定を受諾することを依頼される.
鑑定結果は裁判官に文書(精神鑑定書)で報告するが,このことは鑑定業務の終結を意味しない.最終かつ最大の難関である,法廷における証人喚問が待ち受けている.この関門を終えれば,すべての鑑定実務が終了して精神鑑定書に証拠能力が賦与される.
正式鑑定に際しては,このような時系列の過程で,認識しておくべき多数の実務的な問題が存在する.本稿の主題は,正式鑑定を依頼された鑑定人に不可欠な,実務に関する知識を具体的に解説することであるが,多くの内容は嘱託鑑定にも援用できる.
鑑定依頼
正式鑑定を依頼する鑑定人の選任は,裁判官の権限に委ねられた事項である.時に,弁護人が鑑定人を推薦することもあるが,裁判官に一任されることが通例である.
著者が経験したある事例の焦点は,本件犯行時の被告人が,てんかんに罹患していたかどうかの判定であった.精神鑑定の実施を要請した弁護人は,裁判所に2名の鑑定人候補者を推薦していた.いずれの候補者も,臨床てんかん学の権威ではあったが,著者が個人的に質問した結果,司法精神鑑定の経験を有していなかった.
適切な鑑定人を選択することが,鑑定結果に絶対的な影響を及ぼす.この事例の鑑定で必要とされていたのは,単なる臨床てんかん学の権威家ではなく,臨床てんかん学と司法精神医学に通暁した専門家であったはずである.このような意味から,最適な鑑定人の条件は,臨床精神医学と司法精神医学に関する幅広い知識を有することと思われる.
鑑定人専任の手順には,オフィシャルとプライベートとでも表現できる2種類の様式が存在する.前者が正式な手順であることは当然であるが,実際には後者の手順が採用されることが多い.
オフィシャルな手続きは,裁判所が大学学長や病院長に鑑定人の推薦を要請する文書を送付することに開始される.大学の場合,通常は学長が精神科教授に妥当な候補者の推薦を依頼する.適任者が不在であれば,裁判所の要請を辞退することも可能である.
プライベートな手続きは,事前に裁判所書記官が鑑定人候補者に電話し,鑑定依頼を受諾することへの内諾を求めることに開始される.候補者の内諾が得られれば,裁判所はオフィシャルな手続きと同様の文書を学長ないし病院長に送付するが,文書の末尾に,「本件に関しては○○医師の内諾を得ていることを付記します」という注釈が付け加えられる.
裁判所が鑑定人に求めている条件は,豊富な経験を有する司法精神鑑定の専門家であることであるために,著者がプライベートと称した様式が多く採用されていることは,当然の帰結と考えられる.
裁判所から正式鑑定を依頼された際に,受諾するか辞退するかは自由であるが,著者は以下のような受諾条件を設けている:1)起訴状に記載された公訴事実を被告人と弁護人が認めている,2)精神鑑定を受けることを被告人が了承している,3)著者が被告人の治療を担当した経歴がない.これらの基準のために辞退する事例は稀であるが,いずれもが不可欠の条件であると考えている.
公訴事実が存在することは,本件犯行時の被告人の精神状態を鑑定するための前提条件である.犯行が存在しないとすれば,その時期の精神状態を鑑定できるはずがない.そのために,著者は公訴事実を否定している事例の精神鑑定は辞退している.
著者は鑑定人尋問の法廷において裁判官から,「鑑定を通じて被告人が本件の犯人でないという印象を受けた場合には,その旨を記載した鑑定書を提出してください」と命じられたことがある.経験に乏しかった当時の著者は,この事例の鑑定を実施したが,このような判定が鑑定人の本来の職務を逸脱していることは自明のことと思われる.
司法精神鑑定は,精神医学的診断をくだす行為に他ならない.被告人との面接を繰り返し,信頼できる情報を聴取することが不可欠となるが,被告人が鑑定を拒否して場合,このことは期待できない.そのために,著者は精神鑑定を受けることを拒絶している事例に対する依頼も拝辞している.
著者が主治医として治療した経歴のある事例の精神鑑定も謝絶している.既存の治療経歴は,必然的に何らかの治療者−患者関係を形成させる.このような人間関係が,鑑定人に求められている中立性に悪影響を及ぼすと考えるからである.
鑑定人尋問
適任と思われる精神科医が存在すれば,学長や病院長は個人名を特定した推薦書を裁判所に返送するが,このことは鑑定人選任作業の終結を意味しない.この段階では,鑑定人の候補者が決定したに過ぎない.候補者が鑑定人として正式に認知されるには,鑑定人尋問という過程を通過する必要がある.
鑑定人尋問とは,裁判官が推薦された鑑定人候補者を法廷において尋問し,検察官と弁護人の異議がないことを確認した上で,鑑定業務に従事することを命ずる手順である.
鑑定人尋問の具体的な実務は,裁判所が鑑定人候補者に鑑定人召喚状を送付することから開始される.このような文書に附記されている,「正当な理由なく出頭しない時は,過料,罰金,拘留に処せられることがある」という注意事項に注目しなければならない.すなわち,指定日時の変更は,原則として不可能であることを認識すべきである.
鑑定人候補者である精神科医は,日常的な臨床業務に従事している.裁判所が一方的に決定した日時に出廷することは,不可能という事態も生じうる.事前に裁判所書記官から電話があり,鑑定人候補者の都合を打診した上で,双方に都合の良い日時が決定され,その後に文書が送付されることが通例である.このような意味からも,指定日時の変更はできない.軽率なダブルブッキングなどは厳重に慎むべきである.
鑑定人尋問の法廷は,通常は極めて短時間内に終了する.起訴前に実施される簡易鑑定や嘱託鑑定とは異なり,正式鑑定に際しては法廷における宣誓(「良心に従って誠実に鑑定することを誓います」)を求められる.宣誓を済ませた鑑定人候補者は,鑑定人として正式に認知されたことになる.
裁判官は,鑑定人の職業,住所,氏名を確認した上で,鑑定業務に従事し,結果を文書で報告するように命じ,予想される所用日時を質問する.その後,裁判官は検察官と弁護人の意見を聴取するが,裁判官の決定に異議なく従うことが通例である.
鑑定人には,文書ないし口頭で鑑定嘱託事項が指示される.前者の場合は,鑑定人候補者の推薦依頼文書に記載されている.後者の場合は,鑑定人尋問の法廷において告知される.嘱託事項の実例を示せば,1)犯行時の精神状態,2)鑑定時の精神状態,3)その他の参考事項のような内容であるが,犯行時の飲酒が犯行に及ぼした影響など,具体的な質問が提示されることもある.
正式な鑑定人尋問は,裁判官,検察官,弁護人,被告人が出廷した裁判所で実施されるが,裁判官と書記官が鑑定人候補者の勤務先を訪問し,その場で尋問を実施することも少なくはない.この場合にも,同様の鑑定人召喚状が送付される.すなわち,鑑定人候補者は自己の勤務先に召喚され,その場所での宣誓を求められる.
宣誓を済ませた鑑定人は,鑑定業務を辞退することができない.鑑定人は,自己が担うことになる重大な職責を認識しなければならない.特に,厳正中立の立場で業務に従事すること,法廷に証人喚問される義務を負うこと,虚偽の陳述は偽証罪に問われる可能性があることを熟知すべきである.
鑑定留置
通常,鑑定人尋問後に実施されるのであるが,鑑定人と裁判所事務官の短時間の打ち合わせで決定される鑑定留置は,その後の鑑定実務に重要な意義を有している.鑑定留置とは,被告人をどの場所で検診するかを決定する手続きである.
正式鑑定中の被告人は,勾留停止処分を受け鑑定のために留置される.このことは,嘱託鑑定についても同様であるが,簡易鑑定の所要時間は勾留期間に含まれる.
正式鑑定に際して,被告人を鑑定留置する場所は規定されていない.実際には,鑑定人の要望に応じて拘置所ないし病院が選ばれている.鑑定人は裁判所書記官に希望する場所と期間を伝える.裁判所書記官は検察官に移送指揮書の発行を要請する.その結果,被告人は鑑定人が指定した場所に留置される.
鑑定に際しての面接と検査の簡便性を重要視すれば,病院に鑑定留置することが望ましい.事実上,入院という形態になるが,著者が勤務する大学附属病院の精神科病棟は開放的処遇を推進している.そのような病棟に鑑定留置するとすれば,無断離院など保安の問題が避けられず,看護職員の協力を得ることも容易ではない.
著者は,原則として拘置所を留置場所として選択しているが,このような理由に規定された結果である.著者は,主として中国/中四国地方の裁判所から正式鑑定を依頼されている.大多数の正式鑑定に際しては,被告人を高松刑務所内の拘置所に移送することを希望し,著者が拘置所を訪問して検診を実施している.なお,検診を予定している日時が決定すれば,あらかじめ裁判所書記官を通じて拘置所に連絡しておくことが望ましい.
拘置所に鑑定留置する際の問題は,病院施設を利用した検査が不可欠と考えられる場合の対応であるが,医療施設と日時を裁判所書記官に連絡することで,鑑定人の希望は受け入れられる.すなわち,裁判所書記官の連絡を受け,検察官が改めて場所と日時を指定した移送指揮書を発行する .
被告人は,刑務官に同伴され指定日時に医療施設に移送される.鑑定人として注意すべき事項は,被告人が検査のために病院を受診したのではなく,留置場所が病院に変更されたという認識である.予定された時間が過ぎれば,被告人は再び拘置所に戻されるが,指定期間中の管理責任は刑務官の手を放れ,鑑定人と病院に委ねられるという現実を忘れてはならない.
医療施設における検診に要する時間は,長くても数時間程度であるが,病院の外来施設で実施される検査も多い.保安上の問題が不可避となり,病院職員に多大な負担をもたらす事態となる.このような問題を防止する対策は,裁判所書記官に場所と日時を連絡する時点で,管理責任に関する配慮を求めておくことである.通常,検察官が適切な対処を指示してくれるはずである.
正式鑑定に必要とされる時間に関する規定は存在しない.このことは,鑑定留置期間に関しても同様であり,原則として6週間に制限されているドイツとは対照的である.本邦の司法精神鑑定に関して,過度の時間を要することが批判されている.裁判官は,鑑定人尋問において予想される所要時間を質問する.鑑定人は,約束した期日を遵守するために,最大限の努力を払うべきである.
著者は,鑑定留置期間を原則として約4週にとどめ,この間に4〜5回の検診を実施している.さらに,資料の精査に要する4週と鑑定書作成に要する4週を加え,計12週程度の時間を希望している.裁判遅延の原因が鑑定人の怠慢であってはならない.
おわりに
正式鑑定の実務的側面を解説した.本稿では,被告人を検診する以前の段階で必要とされる手順と考慮すべき諸問題を紹介した.
文 献
|
|
仲宗根玄吉:精神鑑定の意義と手続き.風祭 元,山上 皓編:司法精神医学・精神鑑定.臨床精神医学講座第19巻.中山書店,p.81〜93,1998. |
![]()