被鑑定人の検診

はじめに 

 前稿までの解説で正式鑑定に不可欠な事前の準備は完結し,実際の検診を開始すべき段階に到達した.正式鑑定の健診は,通常の精神医学的診察と類似しているが,いくつかの特殊な相違点がある.司法精神鑑定の健診にみられる特徴を解説する.

1に,検診の主要な焦点は診断にあてられ,治療への関心は意識的に排除される.通常の臨床医の視点からは,診断と治療が分離不可能な医療の基本的な要素を構成するという実状を考慮すれば,精神鑑定の検診は極めて異質な状況になる.

2に,通常の診療で求められるのは,現在の状態像に関する考察に限られるが,刑事精神鑑定の検診で求められるのは,鑑定時(現在)と犯行時(過去)の状態像に関する分析である.過去に関する検討は,一般的な臨床医が習熟している過程ではない.

3に,通常の医療の当事者は,医師と患者の2者関係であり,医師は援助者,患者は被援助者の役割を担うが,司法精神鑑定の当事者は,鑑定人,被鑑定人,司法官の3者関係であり,鑑定人(医師)と被鑑定人(患者)は援助者−被援助者の関係を示さない.

本稿では,主要な焦点を被鑑定人の面接にあてて,このような特殊性を有する司法精神鑑定における検診の実際を解説する. 

検診の実際的手順 

 この問題の重要性は被鑑定人を鑑定留置する場所に規定される.医療施設に鑑定留置する際には特別の問題は生じない. 被鑑定人を通常の入院患者とみなせるためである.ここでは,固有の問題が生じる刑務所や拘置所に鑑定留置する際の注意事項を解説する.

 この種の刑事精神鑑定では,鑑定人が刑務所や拘置所への訪問を繰り返し,施設内の医務室や取調室で実際の健診を実施することになる.裁判所書記官に依頼し,鑑定人の所属と氏名を施設に通告するとともに,初回検診時には鑑定人の身分を証明する資料(鑑定人召喚状,精神保健指定医の証など)を持参すべきである.さらに,検診の予定日時を施設に連絡し,許可を受けることが望ましい.原則として鑑定人の希望は異議なく了承されるが,先方の都合にも配慮すべきである.

 健診を実施する場所は,刑務所や拘置所の判断で決定される.医師である鑑定人の立場からは,医務室内の診察室における検診が好都合であるが,現実には通常の取調室に案内されることが多い.室内に配置されているのは机と椅子のみであり,後者は鎖で自由な移動が制限されている.窓はあるがブラインドが降ろされ,外部の様子を観察することはできない.出入り口は自動ドアであり,室内から開けることは不可能である.外部と連絡する手段は,ブザーやインターフォンに限定されている.鑑定人は,このような環境で 被鑑定人と遭遇することになる.

 施設側に希望すれば,刑務官が健診中に同席してくれるが,著者は原則として単身で 被鑑定人を面接している.自由な供述を促すためには,その方が望ましいと確信しているからであるが,稀には刑務官の同伴が不可欠と思われる事例もいる.著者は,鑑定人尋問の際に,裁判官から単独での面接を禁止された経験がある.その理由は,容易に暴力行為が出現する危険性に基づいていた.その事例の検診では,施設側の配慮で 被鑑定人の平素の状況を熟知している刑務官が同席し,日常的な言動に関する示唆に満ちた情報提供を受けた.このような例外もあるが,著者は事務的な刑務官の同席は不必要と感じている.幸いなことに,著者は従来の検診を通じて切迫した身の危険を経験したことはない.

 最後に,著者が最も難渋した「嘘のような本当の経験」を紹介する.すでに10年以上が経過したが,山口刑務所で生じたハプニングである.約2時間の面接を終了し,室外との唯一の連絡手段であるブザーを押し続けたが,予期した反応も生じなかった.他に手段はなく,夢中になって押し続けたが事態は改善せず,原因がブザーの故障であることは明らかであった.室内に居るのは,著者と殺人被告事件の 被鑑定人の2名のみである.このような状況に放置された著者は,約30分間にわたって途方に暮れるしかなかった.

 救いの手を差し伸べてくれたのは,意外にも被鑑定人であった.彼は,「先生,体面というものがありますから,先生自身がやるわけにはいかないでしょう .私にまかせてください」と述べ,おもむろに立ち上がると出入り口に近づき,下肢を使用して数回ドアを強打した.突然の音響に驚愕した数名の刑務官が駆けつけ,著者は晴れて取調室から解放された.著者は,刑務官に詳細な事情を説明し,被告人の粗暴な行為を処罰しないように依頼して帰途についたが,2度と経験したくない思い出である.鑑定の結果はすでに忘却したが,現在でも被鑑定人に感謝している. 

初回面接時の注意事項 

 著者が初回面接の際に最も重視しているのは,被鑑定人が精神鑑定という手続きをどのように認識しているかを正確に把握することである.稀には再鑑定を受ける 被鑑定人もいるが,大多数の被鑑定人にとっての精神鑑定は未知なる体験であり,多大な不安と疑惑に支配されているであろうことは容易に想像できるからである.

精神鑑定に対する被鑑定人の心理的反応は極めて多彩であるが,極端な拒絶と歓迎という対極的反応に遭遇することは稀である.精神疾患の患者とみなされることを恐れて鑑定人を拒絶したり,責任能力の減免につながることを期待して鑑定人を歓迎したりする,少数の 被鑑定人がいるが,最も多く見いだされる反応は,警戒に満ちた戸惑いのために鑑定人との距離を隔てる被鑑定人である.通常の社会人であっても,精神鑑定の意義がしばしば誤認されている現状を考慮すれば, 被鑑定人に見られるこのような態度は自然発生的なものと思われる.

著者は,検診時の面接を開始する前提として,精神鑑定に対する正しい知識を周知させることが不可欠と考えているので, 被鑑定人に以下のような説明を実施している:1)鑑定人は精神科医であり,精神医学的立場から診察する,2)質問に回答するかどうかは自由であり,不利を招く質問に対する回答は拒否できる,3)必要な身体検査と心理検査を実施したいので協力して欲しい,4)診察の結果は,鑑定書という文書で裁判官に報告する,5)精神鑑定を受けた結果,責任能力が加重される可能性はない.

被鑑定人は,精神鑑定を受けるまでに,捜査段階と公判段階を通じて長時間の取り調べにさらされている.このような 被鑑定人の視点からは,精神鑑定も従来の取り調べの延長であるに過ぎず,鑑定人も捜査官や司法官に類似した権威の象徴と感じられたとしても不思議ではない.このような誤認を解消させるためには,特に医学的診察であることを強調した説明が重要である.

この種の説明に際して,精神鑑定の結果として責任能力が減免される可能性を過度に強調することで, 被鑑定人から豊富な供述を引き出そうとするような態度は,鑑定人として厳に慎むべきである.臨床医である鑑定人が特に注意すべき事項であるが,被鑑定人に対して理解に満ちた援助者の役割を演じてはならない.通常の医療では,医師が患者に対する援助者であることは当然である.医療の本質に,治療(援助)という行為が不可分の要素として含まれているからである.

すでに繰り返して指摘したように,司法精神鑑定における健診に際しては,医療に内在する治療的色彩を意図的に排除しなければならない. 被鑑定人の警戒心や恐怖心を軽減させる目的で,通常の医療の医師患者関係に類似した関係の形成は禁忌であるという認識が不可欠である.

面接時の質問内容にも慎重な配慮が必要である.著者は,初期には現在の 被鑑定人にみられる心身の自覚症状を取り上げ,精神鑑定に対する抵抗の軽減を確認した後に,通常の医学的な病歴聴取を踏襲して,家族歴,既往歴,生活歴,現病歴という順序で質問している.刑事精神鑑定の特殊性として,起訴された犯行の動機や状況に関する質問が避けられない.この種の質問はしばしば 被鑑定人が最も触れられたくない事項に関連するので,著者は最終の検診時まで保留している.その理由は,時間経過とともに被鑑定人が精神鑑定という行為に慣れ,鑑定人に対する信頼感の増加も期待できるからである.

全般的な面接時の注意事項 

 鑑定の実務で面接に使用できる時間は限られている.さらに,規定された期間内に診断的結論に到達しなければならない.そのような制約はあるが,妥当性と信頼性が維持された供述を入手するには,誘導的/追求的な質問を極力回避しなければならない.

 特に問題が多いのは,犯行時の動機や記憶に関する質疑である.通常,精神鑑定が実施されるのは犯行の数ヵ月後であり,時に1年以上が経過していることも稀ではない.このような時間経過が,被鑑定人の記憶に複雑な影響を及ぼすことを忘れてはならない.

このような影響は,本来の記憶を軽減/強化させるという2方向性に作用する.前者の主体は時間経過による健忘ないし防衛規制による抑圧,後者の主体は捜査官の誘導および教示による新たな知識の獲得である.これらの歪曲を回避するために, 被鑑定人に対して本来の記憶として維持されている内容のみを供述し,捜査官に教えられて獲得した知識は意識的に区別するように指示しているが,このことの実行は必ずしも容易でない.

 面接時の質疑を記録する方法にも問題が多い.正確を期すには磁気テープに録音すべきであるが,施設の許可を得るという煩瑣な手続きが必要になる上に, 被鑑定人の心理的抵抗も無視できない.最近になって普及しているボイスレコーダーに記録し,パソコンでテキストファイルに変換できれば理想的であるが,ソフトウェアの性能が不十分である.このような制約のために,現実には 被鑑定人の了解を得た上で,重要と思われる部分を筆記するという原始的な方法を用いている.現在の著者にとって最良の手段は,質疑に関する記憶に残されている面接の直後に,文書ファイルを作成することである.

 意外と思われるかも知れないが,鑑定時に向精神薬を服用している被鑑定人も少なくはない.多くは医務室の嘱託医に指示された処方であるが,精神医療に関する専門的知識をもたない医師が,不適切な薬物を選択していることもある.さらに, 被鑑定人が犯行時にも同じ処方を服用していることは例外的である.このような事例の鑑定では,薬物の影響に関する極めて難解な分析が求められる.

 著者は,治療が鑑定人の職務に属さないことを強調したが,実際には鑑定中に薬物治療を依頼されることもある.多くは勾留中に不眠,興奮,焦燥など,急性の精神症状を発現し,医務室では対応困難な事例である.そのような場合には,症状に応じて多彩な向精神薬を使用せざるを得ないが,可能な限り単純な処方とし,投与期間も最小限にとどめている.稀には,精神分裂病に対する専門的治療を必要とする事例に遭遇するが,このような場合には,精神鑑定を実施すること自体の意義が再検討されるべきである.

 すでに解説したように,検診時に精神療法的接近を行うことは禁忌と考えるが,被告人に対する精神的配慮と治療は次元の異なる問題である.著者は,精神病が疑われる 被鑑定人に対しては,過剰な病識を求めたり,病名が明らかになるような質問は注意深く回避している.精神科医である鑑定人には,少なくとも被鑑定人を現状よりも悪化させない義務があると確信しているからである.

 著者は,鑑定人尋問の直前に,担当の裁判官から,「 被鑑定人には精神分裂病による治療歴がありますが,正しい病名は本人に告知されていません.被鑑定人は,極めて繊細な性格の持ち主と思われますので,鑑定中に精神分裂病という病名に触れないでください.鑑定後に証人尋問が必要な場合にも, 被鑑定人の面前で供述しないように配慮します」と注意された経験がある.著者は,この裁判官による人間的配慮に敬意を抱いている.

 刑事精神鑑定における鑑定時の診断は相対的に容易である.通常の医学的診断過程に他ならないからである.犯行時の診断は相対的に困難である.正確な診断の前提として,信憑性のある情報の集積が不可欠であるが,このことが極度の困難性を伴うからである.

通常の精神科臨床は,患者自身による主観的な情報の価値を最も重視するが,精神鑑定の検診時に得られるその種の情報の信頼性は不確実である.著者の考えでは,この時期の被鑑定人の記憶が,多数要因の錯綜した影響のために純粋性を喪失している.

このような意味から,この時期に犯行時に関する正確な情報の入手は不可能とも感じられるので,著者は捜査段階の初期に聴取される現行犯人逮捕手続書や逮捕時の弁解録取書の価値を重視している.実際の検診に際しては,犯行時の状況に関する検察官による冒頭陳述要旨の内容を読み聞かせ,それに対する被鑑定人の見解を詳細に聴取している.それらの一致点と矛盾点に注目することで,貴重な示唆が得られると考えるからである.

おわりに 

 従来の解説書がしばしば無視している事項であるが,最後に鑑定人の感情に由来する問題を検討する.鑑定人も通常の市民であるために,犯行の性状によっては 被鑑定人に対する批判的な感情に支配され,被鑑定人に対する逆転移が発生することもある.

 このような感情は,一件記録に収録されている被害者側関係者の供述調書を読むことで加速され,殺人事件の被害者の遺児と面接すれば頂点に達する.この種の現象は,極めて人間的なものであり,完全に抑制することは困難であるが,鑑定人としての中立的な判断に悪影響をもたらすことは確実である.

 精神科医である鑑定人は,常識には立脚するが,道徳に依拠するわけではない.自己の感情の偏向を客観的に監視することも,鑑定人が果たすべき重要な任務と思われる.

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