モネの庭

  

未知との触れ合い

 医師になった頃から旅行の際には常にカメラを手にしていた.そこで触れあう未知の風景の記録を意図していた.この頃の愛機は,Minolta CLEContax TVSContax G1などのコンパクトカメラであった.携帯性を重視してこれらを選択したが,いずれの機器もすでに手元には残されていない.その過程で,過剰な自己満足とともに多数の写真が集積されたが,すべては単なる「記録」でしかなかった.結果的に,写真に対する情熱も徐々に失われた.最近になってこの頃の写真を目にしても,撮影時の感動が回顧できるような「作品」は皆無である.

「見る」と「視る」

 人口の高齢化に伴い,精神医学でも老人期の定義は60歳以降から65歳以降に延長された.しかし,初老期と呼ばれる年齢は相変わらず45歳以降にとどまっている.初老期を過ぎた頃から,日常で接する景色を注視する習慣が生じた.従来の「見る」から「視る」への変化である.心理的には,「この景観を見るのも最後かもしれない」という老いの自覚かもしれないが,そのことによって平凡さの中に新たな情感が感じられた.それらの感動を記憶しようとしたが,それを可能とする能力は年齢的にもすでに失われていた.要は触れ合いの瞬間の正確な記録であり,その中に感動が包含されなければならない.そのためのメディアとして,再び写真に対する強い関心が浮上してきた.

 

 

初老期の手習い

 再度Contax G1を取り出したが,視差(パララックス)の存在が気になった.従来は回避してきた一眼レフカメラであるが,あえて重さをいとわずにEOS 1Nを購入した.そのことで,視野率100%が入手できた.写真の正しい基礎知識を得るために,1年間の通信教育による写真講座を受講し,12回にわたる実習と試験を経て卒業した.その過程における学習を通じて,写真の奥の深さを体感できた.さらに,CANONクラブに入会し,通信添削講座によってプロカメラマンの指導を受けた.懇切な多数の示唆を受け,写真では特に焦点の精度が最も重要な技法であることを注意された.数々の酷評が繰り返されたが,最終的には何とか上級の認定が得られた.

 

 

光景との遭遇

 写真は,本邦には江戸時代の末期に導入された.この頃には「光画」と訳されていたという.確かに,価値ある作品を作成するためには「光線を視る目」が不可欠である.現在は,素敵な光景を求めて撮影に打ち込む自由はない.公務員という職業に規定された結果である.その中で,学会への参加は新たな光景に遭遇できる最適な機会である.国内学会に参加した際は,週末の土曜日を写真撮影に費やしている.天候は運命に委ねざるを得ない.1昨年は2度沖縄を訪問したが,いずれの土曜日も雨天であった.昨年度は,国際てんかん学会議がアイルランドで開催された.本邦からの直行便がないことを幸いに,あえてフランス経由で参加した.本稿の写真は,1日の休日を利用して「モネの庭」を訪れた際に撮影した.時に小雨が混じる曇天であり,手振れに最大の注意を払った.帰途,大型バスはバルビゾンの村を通過した.英語で発表しなければならないアイルランドなどへは行かず,このまま1週間程度滞在できればと夢想していた.うつ病の発症は初老期以降に増加する.誘因としての状況因との関連から,「荷下ろしうつ病」という用語がある.問題は,停年退職後の費消できない過剰な時間である.写真は,このような時期に最適の趣味である.現在の状況では,仕事と趣味の両立は不可能と思える.このような意味から,停年の時期が待たれるような気がしないでもない.

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